数学や物理,計算機科学で使われている等号「」について分類をすることにする.「同等」であることを意味する場合,「(物理的に)等価」であることを意味する場合,「出力値が同じ」であることを意味する場合があると分類して考察をすることとする.
同等(ものとして同じ)場合には、通常の等号「」を用い,(物理的に)等価な場合は「」,出力値が同じ場合については,「」や「」,「」を用いることとする.いくつかの例を見ながら考えてゆく.
簡単な例
長方形の紙:
例えば,「」という式と「」という式を考えた場合,は縦の長さがで横の長さがということを意味しており(今回は1つ目に書いたものが縦の長さで,2つめが横の長さとする),一方は縦の長さがで横の長さがを意味しており,ものとしては異なるので,
となる.
しかし,一方を90度回転させるともう一方と同じになるため,これらは物理的には等価であると言える.よって,
と書くことができる.
また,これらが出力する値を面積とし,今回はの出力値をと書くことにすると,
あるいは,
と,書くことができる.
速さや長さ:
「」という式と、「」という式を比較する,
これは,ものとしても異なり,物理的にも等価ではないが,出力値は同じになるため,
かつ,
だが,
あるいは,
ではある.
物理における等号
例えば静止エネルギーを意味する有名な式において,と書かれる式は,厳密には右辺と左辺の意味は異なる.仮に,エネルギーをEとした場合、エネルギー値は区別をしてと書き,
などどすべきであろう.(ここで,とする.)あるいは,
として本来は区別するべきなのかもしれない.普段は,エネルギーとエネルギー値を同一視して,かつ出力値が同じことを,ものとして同じと認識しかねない方法で記述をして議論をしていることになる.これが,計算機の場合,2つの等号,「」と「」を区別をして記述をしないといけない.と書いてしまうと,という記号は,を意味していると認識してしまい,それが別のエネルギーという概念であると認識することは計算機にはこのような記述方法ではできないようである.一方,人間の認知の場合特に区別をせずとも通じ合えるのは凄いことであると思う.おそらく,人はこれらを認識をするときに,何らかの欠損した部分を自然に補って認識を自然なものにする能力が備わっているようである.ある自由意志の研究者の研究がを伺ったことがあるが,景色などの視覚情報に対しての認知や認識も,実は自動的に補足されており,人間の意識には自然に映るようになっているようである.
数学における等号
数学における等号の扱いかたを少しだけ振り返ると,例えばアーベル群などを意味する場合の記載方法は,
などと書くが,これはをと直接対応させている訳で,出力値が同じという意味ではないので,ものとして同じという意味の等号と見なしてよいだろう.
まとめ
等号には「同等」,「等価」,「出力値が同じ」が同じを意味する場合に,混在して使われているので,時には意識的に分類をしてみることも良いのではと思う.今回,掛け算の順序がSNSで話題に上がっており,自分なりに等号を分類したくなって簡単なメモを記述をした.
掛け算の順序については,「超数学」と呼ばれる分野では厳密にその順序を区別する必要性が出てくるようである.普段あまり意識はしていないが,機会があったら学んでみたいと思う.
しかし,一方でこのような基礎の基礎の部分について気にしすぎるのは,普段数学や物理学の問題を考える上では障害となる可能性がある.日本語で会話をする時に,毎回文法の解説をさせられていたら会話が進まなくなってしまうのと同じである.幸い人間にはこのあたりを厳密に区別をせずとも議論を進める能力が備わっているようである.その点を踏まえて,異なる視点や観点で研究や学習を行っている人がお互いに足の引っ張り合いになることはできるだけ割けたい.お互いの専門性の長所を上手に活かせるような議論の方が有意義ではあるが,なかなかそのようにはならない場合もあるようなので,その点については注意をしておきたい.
個人的にはこのようなメタに学問をみるのは好きなので,認識を深めてゆきたいとは思ってはいる.
2024年4月24(水)